2012年9月19日水曜日

シチリアーノ Sicilienne

Faure, Sicilienne

劇音楽「ペリアスとメリザンド」の第2楽幕への前奏曲です。
「ペレアスとメリザンド」の音楽は、フォーレ以外にクロード・ドビュッシー、アルノルト・シェーンベルク、ジャン・シベリウスなども作曲しています。
昔ウイスキーのコマーシャルで流れていたので、何となく聞き覚えのある曲です。
流れるように優しいメロディー、聴いていると心が安らぎます。
しかし練習しているとなかなか安らぐどころではありません。
なんでかな、なんでなんで、いい音出ないのかな。
これは楽器に問題があるのか、技量に問題があるのか?
またまた責任を楽器に転嫁しようとしている。

映像は家族で出かけた沖縄の写真です。
8月の末、台風15号が過ぎ去り14号が又沖縄に接近し、飛行機の着陸にも心配ししながらの旅行でした。
空港閉鎖解除直後とあって着陸待機の飛行機が多いため着陸態勢のまま20分程度空港周辺をぐるぐる観光遊覧。同じ料金で沢山乗れて得したと思えば・・・・・。
当然ながら飛行機が多いのは人も多い。
レンタカーを予約していたのですが、配車センターは気が変になるほどの人だかり。順番待ちの呼び出しアナウンスの声も聞こえません。
夏休み最後の週とあって子供も多く、それはそれはなんと賑やかなことでしょう。
ようやく車に乗り込みさあ出発。
時々にわか雨がある程度で全日ほぼ晴天。
青い空、白い雲、輝く太陽、そしてコバルトブルーの海。
沖縄そばにタコライス、ぜんざい。
うむうむ、なかなか、楽しい旅行でした。
そうだ、もう一つ思い出がありました。
今回のレンタカーは満タン返し不要の契約。
となると、何とか給油せずの返したいのは人の性。
最終日、名護市付近で残量計の針は残り2メモリ、この距離だと何とか持つだろう。
燃費を意識して高速道路を定速走行。しかし那覇手前で残量計が点滅。
渋滞さえなければ何とかなるだろうと思っていたら、前方でハザードランプが点滅。
まいったな、渋滞だ。
ひやひや、どきどき、車内はガヤガヤ、大変盛り上がり5時45分の返車予定時刻1分前になんとか配車センターに到着。
最後に疲れてしまった。



「ペリアスとメリザンド」の粗筋
第1幕
アルモンド王国の中年王太子ゴローは、森の中で長い髪の若く美しく泣いていメリザンドを見つけ、一目ぼれをしてしまい、城のつれて帰り嫁さんにするのです。
城につれて帰ると、メリザンドはゴローの弟で若き王子ペレアスと知り合うのです。
第2幕
仲良くなったペレアスとメリザンドは城の庭にある「盲の泉」でじゃれて遊んいるうちに、メリザンドはゴローからもらった結婚指輪をもて遊び泉の底へ落としてしまうのです。
メリザンドが指輪をしていないことにゴローは怒るのですが、メリザンドは「海辺で落とした」と嘘をついてしまうのです。
ゴローは狩で落馬し負傷し探しに行くことができないので、メリザンドにペレアスを同伴させて海辺を探すように告げるのです。
夜の海辺で乞食たちを見つけた時、ペレアスはメリザンドに色々優しく国の現状を説明するのです。
第3幕
メリザンドが、歌いながら髪を梳かしている姿をペレアスがうっとりしながら見つめて、その髪に触れている所をゴローに見つかりたしなめられるのです。
翌日ゴローはペレアスにメリザンドの妊娠を告げ、刺激を与えぬようあまり彼女に近づかないようにと警告したのですが、その晩メリザンドの寝室にペレアスが一緒に居る事を知るのでした。
第4幕
ペレアスは、このままではいけない明日遠くへ旅立つので、最後に今晩泉で会いたいとメリザンドに告げるのでした。
ゴローはペレアスとの仲が気に入らなくて、メリザンドの髪を引きずり回して呪いの言葉をかけ、なじるのでした。
メリザンドは、ああもうだめゴローを愛することが出来ないわ。
夜になり、泉で待つペレアスの元にメリザンドが現れて、ペレアスは愛の告白をすると、私も好きだと答えるメリザンド。・・・・・。
木陰の闇で抱き合う二人。
ゴローの我慢も限界。二人に斬りかかるのです。
ペレアスは死に、メリザンドも重傷を負ったのです。
第5幕
赤子を産んだ後、医者に看取られ死を待つのみのメリザンドに、ゴローは悔恨にくれつつも、ペレアスとの不義理の問い続けるのでした。
しかしメリザンドは、「許さなければないようなことは、思い浮かばない」などと受け答えをはっきりしないのです。別室へゴロー下がった時、メリザンドは誰にも看取られず、一人静かに息を引き取るのでした。
泣き崩れるゴローに老王アルケルは「今度はあれが生きる番だ」と小さな赤子を見せ、静かに幕が下りるのでした。

この第2幕の泉でペレアスとメリザンドがじゃれ遊ぶ時に流れているのがシチりアーノです。
綺麗な旋律の中に何となく侘しさを感じるのは、恋愛の楽しさとその悲しみを表しているのかも知れませんね。
と思いしや、この曲は「町人貴族」のために書かれたものを流用したそうです。でもこの劇のために編曲、いやいや再創造したに違いないでしょう。