14曲目、イパネマの娘。
1962年に作られた代表的なボサノバです。
作曲 Antônio Carlos Jobim アントニオ・カルロス・ジョビン
作詞 Vinicius de Moraes ヴィニシウス・ヂ・モライス
ブラジルのリオデジャネイロ市内にあるイパネマ海岸の娘を歌っています。
よく聴く曲なので、簡単と思いしや、いやいや今回もてこずりました。
後半の高音域はなかなか音が続きません。
幾つか前打音が付いているのですが、無視しています。
無視と言うより、私の現技量ではなかなか吹けないのですね。
納得のいくまで練習をしていると、何時までも次の曲に移れません。
この辺りで妥協です。
映像は今年4月に撮影。
兵庫県の竹野海岸です。
ちょっとイパネマ海岸のイメージと違うかな?。
でも海を渡れば、南半球イパネマ海岸のたどり着くことでしょう。
先日、正岡子規の話を聴く機会がありました。
講師は子規の妹、津のお孫さんで正岡明さん。
子規には子供がいなかったのですが妹の津が従兄弟を養子に取ったそうです。
なかなか気さくな方で、子規や津のこと、また秋山真之の手紙など当時の資料で色々お話を伺いました。
正岡明さんは樹木医で造園が本職。
奈良の「子規の庭」を設計施工されたそうです。
子規の号は彼が喀血し、これじゃあホトトギスじゃないかと自らホトトギス(子規)としたそうです。
この話からでも、彼の性格が伺えるような気もします。
病気との付き合いかたが子規を生んだのかもしれませんね。
子規の死生観の中で、「余は今まで禅宗のいわゆる悟りということを誤解していた。悟りということはいかなる場合も平気で死ぬことかと思って居たのは間違いで、悟りということはいかなる場合でも平気で生きていることであった。」また、「生きている間は常に希望があり、希望が零となるとき、釈迦はこれを涅槃(ねはん)と言う。」と言っています。
生きている間は常に希望があるのですね。
ウムウム・・・、生き方考えさせられます。
希望を捨てず練習に励まなくてはなりません。
歌詞
Garota de Ipanema
lha que coisa mais linda, mais cheia de graça
É ela menina que vem e que passa
Num doce balanço, caminho do mar
Moça do corpo dourado, do sol de Ipanema
O seu balançado é mais que um poema
É a coisa mais linda que eu já vi passar
Ah, porque estou tão sozinho
Ah, porque tudo é tão triste
Ah, a beleza que existe
A beleza que não é só minha
Que também passa sozinha
Ah, se ela soubesse que quando ela passa
O mundo sorrindo se enche de graça
E fica mais lindo por causa do amor
Por causa do amor
Por causa do amor
Amor
「イパネマの娘」
なんてきれいな娘なんだろう
スイングしながら海辺を歩いてゆくよ
イパネマの太陽のように黄金色の肌
彼女の歩く姿は一遍の詩のよう
ここを通り過ぎる誰よりも美しい
なぜ僕はひとりぼっちなんだろう
なぜこんなに悲しいんだろう
あの美しい娘は僕のものじゃない
ただ通り過ぎていってしまうんだ
彼女は知っているのだろうか
彼女が通り過ぎると世界中が微笑み
愛の力で輝くということを